昨年の夏から秋まではテンションが高かったのです。 一つ嬉しいことがあると、ざーと波が寄せてくるのです。
誰かから認められていると信じたくて。 でもそれは、自分の一番弱い部分を見ないようにして成立していました。
英語で育てた(と信じたい)子どもたちは成人し、願っていたのとは少々、かなり、全く、異なる人生を歩んで
います。 それはそれでいいのです。 問題は 私の理想ではないことです。 あれだけ時間を割き、
男社会の中で子育てと仕事を貫いたのに、私の理想は見事にぺしゃんこに。 それを知られたくなくて、
平気なふりをしていました。 でも、傷口は大きくて、 私の心は血だらけでした。
それが 「鬱」 へと引っ張っていくのです。 その過去から逃げられなくなると、 固まってしまうのです。
夜は、とにかく薬を飲んで、気を失うように眠る。 「死」 の代わりの 眠り です。 そんな次の朝は、
必ず震えて、怖くて、怯えてー 「抗不安薬」 出口がなくて、ドクターと長く話しても、今回はだめでした。
羽生結弦 様のYouTube が唯一の癒しでした。 そして、「宮島賢也」先生と出会いました。
誰かから認められていると信じたくて。 でもそれは、自分の一番弱い部分を見ないようにして成立していました。
英語で育てた(と信じたい)子どもたちは成人し、願っていたのとは少々、かなり、全く、異なる人生を歩んで
います。 それはそれでいいのです。 問題は 私の理想ではないことです。 あれだけ時間を割き、
男社会の中で子育てと仕事を貫いたのに、私の理想は見事にぺしゃんこに。 それを知られたくなくて、
平気なふりをしていました。 でも、傷口は大きくて、 私の心は血だらけでした。
それが 「鬱」 へと引っ張っていくのです。 その過去から逃げられなくなると、 固まってしまうのです。
夜は、とにかく薬を飲んで、気を失うように眠る。 「死」 の代わりの 眠り です。 そんな次の朝は、
必ず震えて、怖くて、怯えてー 「抗不安薬」 出口がなくて、ドクターと長く話しても、今回はだめでした。
羽生結弦 様のYouTube が唯一の癒しでした。 そして、「宮島賢也」先生と出会いました。