英語教師が顔面麻痺 で鍼に会い鍼灸師に そしてうつ病と闘う

英語教師として男性社会を生き抜いてきた つもり。 英語で子育ても したつもり。 第1 臨月で発症した顔面神経麻痺。 鍼灸との出会い。 T OE IC( 過去最高 940 ) や 大学入試。 教育制度への疑問。 51 歳で鍼灸師国家資格に合格。 仕事と勉強の究極の後に待っていたものは、うつ病での休職。 東洋医学では、 胃系の病、顔面神経麻痺、胃潰瘍、うつ病 との 闘いの日々を綴りたい。 顔面神経麻痺との闘い、教育への疑問は「女の顔が歪んだら」「しないから続いた」文芸社 に 発表。 HP http://kanon.a.la9.jp

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 教育と医療の二重構造

 

一 初めに

 私は、長年公立高校の英語教員をしている。ひょんなことから、鍼灸師国家資格と取得し、曲がりなりにも鍼灸師となった。紆余曲折を経て、今心底不思議に思い、疑問に思い、憤りさえ感じていることがある。それが、教育と医療の二重構造である。浅学なので、他国はどうなのかよくわからないが、この国に関しては、その二重構造は、ある時、庶民の味方になるが、多くの場合、大きな問題を提示している。皆が、当たり前と考えていることに一石を投じたく、ペンを取った。

二 教育現場で

 高校生は、入学と同時に、ベネッセのスタディサポートなるものを受験させられることが多い。もちろん、受益者負担なので、保護者が受験料を出す。そんなことに気づく保護者はまずいない。主要教科と呼ばれる、国語、数学、英語の学習到達度を測り、学習習慣などのアンケートもある。その結果をもとに、担任と生徒は面接をし、どの教科が弱いか、勉強時間は足りているか、生活で見直すべき点はないかなどと話し合う。そこからは、定期的に、ベネッセの模試が始まる。初めは、やはり国語、数学、英語の三教科である。偏差値が出され、校内順位、全国順位も出される。最近では、自分で自分の情報を入力し、志望校を絞っていくのに使用できる。個人情報の山である。ベネッセから大量の情報が流出したことが、世間を騒がせているが、一企業が、全国の高校生のほとんどのデータを占有しているのが、現状である。これは時に、教員への指導という形で勉強会が開かれたりもする。古い教員である私は、この仕組みに大きな疑問を抱いてきた。センター試験の結果ともなれば、自己採点をした結果を進路課長がまとめ、ベネッセや代々木ゼミナールへそれ急げと送る。徹夜仕事で、全国からのデータをまとめ、どういう生徒がどの大学を志望しているかが、大きなデータという形で学校へ返送される。それを元に、学年団や担任が中心となり、生徒と面接をして、合格可能な志望校を絞っていく。見ていて、滑稽でもある。学校を信頼しない教育の仕組みが構築されている。

 これは、小中学生の塾という形でも現れている。より進学実績のよい高校へ入るために、保護者も生徒も必死に塾へ通う。そこでもデータが生きている。日本は幼いころから学校を信頼せず、企業に頼るという教育の仕組みが出来上がっている。これに疑問を呈する教師はもうほとんどいない。それを利用する方が、楽であるし、保護者や生徒の信頼も得ることができる。その指導が上手な教師ほど、よい教師という構図までできている。おかしいではないか。

 大都市では、有名私学へ入るために、幼児から塾へ通う。その先にあるものは有名大学への入学である。ところが、日本の大学は世界的に見て、大変レベルが低い。東大と京大くらいしか上位に名前がない。この大学へ入るために保護者も生徒も必死である。保護者の中には、コツコツパートで貯めたお金を塾へつぎ込む人も少なくない。気の毒である。

 では、塾がすべてか言うと、そうではない。学校の成績によって、持ち点が決まるという事実もある。特に推薦入試などでは、学校での成績が大きく運命を左右する。地方大学は、優秀な生徒を確保するために、地元優先で、各高校一人というような枠を設けて推薦入試を課す。センターを課さない大学まである。学校を信頼していなかったはずの、保護者や生徒は翻弄される。とにかく、欠席せず、校則を守り、定期テストでよい点数を取らなければならない。見ていて、この二重構造は、哀れでもあるし、滑稽でもある。

 文部科学省は何をするところなのだろうか。センター試験はその傘下にある大学入試センターが」実施しているが、開示をしてこなかった。数年前より開示をするようになったが、翌年度の五月である。入試には何の役にも立たない。生徒はひたすらマークカードを塗り、自分の答えを問題用紙に写し、新聞発表などの正解を見て、自己採点をしなければならない。翌日は、学校で自己採点の時間が設けられ、前述したように、自分の情報をすべてベネッセや代ゼミに送らなくてはならない。これはどう考えてもおかしい。中には、自己採点でミスを犯し、結果が事実と異なっていて、浪人する生徒さえいる。大学へは大学乳h氏センターより本当の結果が送られているので、そのような差異が生じることがあるのだ。長年この仕組みを見てきた。利用し、生徒を励まし、保護者と話し合い、苦労に苦労を積み重ねてきた。だから思う。この仕組みはおかしい。変革が必要だ。

 センター入試が複数回行われるようになることや、一発勝負ではなく、資格のように扱うことが議論されてきている。私は、ニュージーランドの教育視察をさせていただいたが、まさしく、そのような仕組みが教育に反映されていた。毎年、センター試験のような統一試験を生徒は受験する。学校での試験も文部科学省のようなところと話し合われ、できるだけ平等な試験を実施し、成績の半分は学校での成績である。後半分を統一テストの結果が占める。その合計がその生徒の持ち点となる。それを積み重ね、一人の生徒の持ち点が決まる。それを元に、生徒は志望大学を複数決め、出願する。一発の入学試験は一切ない。その持ち点で、大学は応募者の中から合格者を選び、インターネットで結果を発表する。複数合格した場合は、一大学に決め、入学手続きをする。空いたポストは補欠合格の生徒で埋まっていく。もちろん、物事に完璧はないので、そういう仕組みにも問題はあるだろう。しかし、学校は学校として威厳を保ち、信頼すべき場所である。日本の仕組とはまるで異なる。

 私は、国立大学に入学したが、その時の教授がよく言われた。学生運動は失敗だ。東大、京大を頂点とするピラミッドを崩せなかったのだから、何をかいわんやだ。この仕組みは壊せない。無理だ。だれしも、有名大学に入りたいし、就職が有利なところの行きたいのだ。この言葉はショックでもあったが、非常に説得力があった。今の私の考え方の基礎を作ったともいえる。

三 医療の二重構造

 教員をしながら、夜間の鍼灸学校へ通い始めたのは四九歳だった。職場では一年生の担任をしており、時間がなく、どうせ続かないだろう、無理ならばやめよう という甘い考えで入学した。もちろん、同機はあった。二九歳初産臨月で右顔面神経麻痺を発症し、大きな病院でたらいまわしにされ、結局「手遅れ」と言われ、西洋医学に絶望した。何とか良くなる方法を夫二人で探した。いくつかの病院を訪ね、様々な治療を受けたが、結局は改善せず、父が柔道整復師であったので、鍼灸を勧められた。そんなもので、直るのだろうかというのが本音だった。しかし、大きな病院は、検査検査で、挙句の果てビタミン剤しか出ない。絶望した。それならば、鍼灸にかけてみようと思った。保険がきかず、経済的には大変だったが、女の顔が歪んだのだから、とにかく何とか良くなりたかった。コツコツ通った。乳飲み子を抱えての入院や通院は本当に大変だった。実家の両親や嫁ぎ先の両親に子供を見てもらいながら、可能な限り施術を受けた。すると、全く動かなかった右の顔が少しずつ、動き始めた。顔だけでなく、全身に鍼を打つ。お灸も施された。数か月でかなり動くようになった。遅々とした快復だったが、一年間の育児休暇の後、職場復帰まで何とかたどりついた。これが私の病気に対する考え方の基礎となった。確かに、西洋医学は、切ったりはったりと感知を目指す。東洋医学は、人間を一顧の個体としてとらえ、病気を全身で治療する。私はその東洋医学に強く惹かれて行った。機会があれば、勉強したいと願っていた。しかし、二人目も生まれ、生活に追われる中、その願いはとてもかなうものではなかった。静岡県内で鍼灸が勉強できるところは、全日制ばかりで、とても仕事を辞めて通うことはできなかった。ところが、規制緩和の波が押し寄せ、リハビリテーション、柔道接骨、鍼灸が色々な所で学習可能になってきた。当時私は、進路指導課に所属しており、全国から送られてくる学校案内を整理する担当だった。職場近くに、鍼灸を夜間に学べる学校が設立されると知り、迷いなく出願を決めた。まだ学校も立っておらず、近くのホールを借りての受験だった。無事合格し、私は鍼灸学科一期生となった。入学式で頂いた教科書に、「解剖・生理・臨床医学総論・各論」などを見たときは、何かの付録だと思った。しかし、授業が始まると、それらは時間割の大きな部雨bを占めていた。「解剖。生理」などは基本的に医師しか教えることができない。ドクターの授業を受けることが始まった。全く未知の世界なのだが、病気というあまりにもありふれたことを学習するので、非常に興味深かった。職場では担任として、英語科教員として激務が続いた。車で一五分の通学は、六時の授業に間に合わすために血のにじむような努力が必要だった。三年間、次の学期の予習を長期休みに済ませ、必要なプリントも用意した。勤務時間には出来るだけ生徒との時間を大切にし、対応に追われた。くたくたになって、六時の授業に滑り込むと、山の様な暗記と理解が待っていた。

何度もあきらめかけたが、先生方の励まし、クラスメートの助けで乗り切った。五一歳で国家試験を受験し、合格できたのも、周りの方々の助けのお蔭だと感謝している。特に、夫は家事一般をすべて引き受けてくれた。食事、お弁当、掃除、洗濯と一手に引き受けてサポートしてくれた。子供たちは成長し、すでに家を出ていたので、特に迷惑をかけることはなかったが、体を壊さないようにとしょっちゅう連絡をくれた。私は、限界を感じると、学校付属の鍼灸院で鍼灸の施術を受けた。

これが体調管理の基本となった。

 著のにじむような三年間の学習の中で見えてきたものがあった。医療の二重構造である。

その学校は、柔道整復師の先生方が資金を出し合って、設立されたが、理事長は元医師会の会長先生だった。学校長はもと教育員会の教育次長先生である。医療系の専門学校は、厚生労働省と文部科学省のどちらにも関係する。学校として立ち上げるには、そのような権威者が飛鳥なのだと痛感した。授業の中で聞くお話も、大変考えさせられるものが多かった。救急車を呼ばないといけないような場合、鍼灸院へ来られることはない。しかし、病気には解明されていないものが山の様にあり、病院めぐりをしても、直らないという方も多い。困り果て、最後に鍼灸にたどり着くという方は案外多いのだ。保険がきかず、3千円、四千円かかっても、とにかく楽になりたいという人は多い。保険は全く聞かないわけではない。特定の疾患の場合、医師の同意書があれば一定期間保険適応となる。しかし、東洋医学は、ある意味、予防医学でもある。体調管理をするにはとても役に立つ。そういう場合は、もちろん保険適応外である。大変有効なので、一度それで体調が良くなることを知った人は、自腹を切ってでも鍼灸に通う場が多い。スポーツや美容の分野でも有効である。

 そんなに良く効く鍼灸なのに、日本の中には、「怖い 痛い いかがわしい」などの

イメージが強く残っていると思う。非常に残念だ。アメリカやヨーロッパが代替医療としてどんどん鍼が広まっているのに、日本はまだまだアンダーグラウンドである。

 苦労して国家資格を取っても、法規制があり、広告が規制される。多くの事が書いてはならない。医師もなかなか同意書を書いて下さらない。

 体調を崩す、怪我をする、病院へ行く、手術や入院が有ったり、薬が出たりする。しかし感知しなかった、全く直らなかったりすることも多い。西洋医学は専門性が強く、内科・外科・皮膚科などと人間をある部分切り取って診る。全身を血液がめぐる人の体は一個の個体であって、すべてが関連している。東洋医学はその点に着目し、大切に治療・施術する。多くの方が、大病院で長時間待たされ、挙句の果てに三分診療、医師も不親切という目にあっておられるのではないだろうか。人は人の治療を求めるものだ。鍼灸院へ来られる患者さんは、そういう経験をされた方が多い。ここでも、二重構造が見える。

四 広告の制限

 前述したように、国家資格を取ると、医師も柔道整復師も鍼灸師も、広告が法律によって制限される。どこの学校を出たか、得意分野は何か、どんな治療が中心か、料金体系はどうなっているかなどは細かく提示することができない。お世話になった内科医の先生は、名古屋大学医学部卒業であったが、その卒業証書は院内の目立たないところにかけてあった。代替わりで、若先生が中心になって以来、その卒業証書は姿を消した。評判のよい線先生のところへは、口コミで人が集まるので、そうする必要もないのだろう。しかし、これだけインターネットの発達した時代に、ホームページで自分をアピールすることが制限されるなんて、いかにも時代遅れだ。

 それに引き替え、国家資格ではない「リラクゼーション」系統は、どれだけ広告しても法律の縛りはない。新聞の折り込みチラシに、お風呂屋さんの「リラクゼーション」や近隣店舗の「耳鍼」などの誇大広告を見つけると、暗澹だる気持ちになる。資格がないからこそ、どんな広告をしても法律に規制されない。それは大きな矛盾である。消費者はそんなことはつゆ知らされていない。経験知的に、これは役に立つ、これはおかしい、まやかしだ、と判断せざるを得ない。法律によって、消費者はかえって、正しい情報が得られないとも言える。

 だからと言って、どこの医院も好きなだけ広告をしてよいというものでもないだろう。情報が多すぎても、選ぶ消費者の決断に時間がかかる。しかし、どこの医学部卒業か、専門は何か、どんな研究をし、どんな論文を書き、治療実績はどの程度かというような情報は、選ぶ側としては是非欲しい。そのほか細かいことは、ホームページに書いてくだされば、困ったときに大変役立つだろう。

 インターネットを開けば、本当に情報の山である。その中で、医療現場だけが取り残されているように思われる。必要な法改正がなされ、困難の中にある患者さんが、少しでも迅速に正確な情報が得ることが出来るようになることを願う。

GTec というつまらない局地の検定試験の会議

死にそう

なんて😑

どうでも良い
 

叔父は 川柳選者 として活躍

空襲で 顔にやけどを負いました

戦争を語り継いで欲しいと 頼まれました

あと少しの教員生活で 最も大切なことと考えています 

月曜日なのに 訪問客 様 が

段々200 近くになってきました❗️

ありがとうございました❗️ 



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